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愚堂東寔書跡[ぐどうとうしょくしょせき]

分類 重要文化財
指定別
所在地 加茂郡八百津町八百津
所有者 大仙寺
指定年月日 昭和62年8月11日

愚堂東寔書跡

 東寔は天正5年(1577)山県郡伊自良村(現山県市)に生まれ、同地の東光寺で出家したが、各地で修行の後、妙心寺聖沢庵の庸山の門に入って印可を受け、慶長10年(1605)29歳で妙心寺第一座となった。その後、稲葉方通の招きで美濃へ帰り八百津の正伝寺を開き、大仙寺を中興した。寛永5年(1628)以来、3度妙心寺の住職となった。万冶元年(1658)京都山科の華山寺へ退隠し、寛文元年(1661)10月、85歳で没した。
指定の2点の書は印可状と愚堂が瑞倹に与えた道称であり、この印可状と道称は一つのセットである。
印可状は、師匠が修行僧に対して悟りを開いたことを認めた証明書で、道称とは道号・字号ともいい、いわゆる字である。
愚堂東寔の書は太字と細字では別人の感さえある。太字でその真面目を示すものとして、「不識」の2字を大書したものが有名であるが墨跡淋漓[ぼくこんりんり]、気魄横溢したものであり「泰翁」の2字はその片鱗」を伺わせる。細字は目立った特色はないが、素朴枯淡な味わいがある。

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