ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 分類でさがす > 教育・文化・スポーツ・青少年 > 文化・芸術 > 文化財 > 天照寺薩摩工事義歿者墓[てんしょうじさつまこうじぎぼつしゃのはか]

本文

天照寺薩摩工事義歿者墓[てんしょうじさつまこうじぎぼつしゃのはか]

分類 史跡
指定別
所在地 養老郡養老町根古地三昧
所有者 天照寺
指定年月日 昭和37年2月12日

天照寺薩摩工事義歿者墓

 幕命により、薩摩藩がおこなった油島新田地先の縮切堤工事と大榑川洗堰工事とを中心とする治水事業は、大変な難工事であり、それによる死没者も数多くみられた。治水工事にあたった薩摩藩士の中には、工事の遷延の責を負い、または工事監督の幕府役人の冷酷な処遇に憤慨して、割腹した者は50名をこえたといわれている。
本工事は四か所で、それぞれ数名の現場主任が中心となって進められた。この現場主任の多くが割腹したと伝えられている。
浄土宗天照寺の墓地には次の3名の死没者の墓がある。

摂心常在居士宝暦四年八月十八日八木七郎左ェ門
雲峯日秀居士宝暦五年四月二十三日松下新七
津門梁通居士宝暦五年三月四日山口清作

<外部リンク>