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高堂城跡[たかどうじょうあと]

分類 史跡
指定別
所在地 高山市国府町瓜巣
所有者 個人所有
指定年月日 昭和45年8月11日

高堂城跡

 高堂城は古くはタカウドの城、現在はタカトウジョウと呼んでいる。JR高山本線飛騨国府駅の南西約2km、標高752.5mの山上にあり、広瀬城とは約1.7kmをへだてて相対し、その詰城とされた。頂上には約230m2の主郭が構築されており、南東に二段の腰曲輪、東方に幅約2mの狭い腰曲輪を設けている。また、北方には、幅10m、長さ13mの平地が突き出ており、曲輪とみられる。
城洞木戸口は洞口氏の家のすぐ上手に所在しており、かつて門石が2つ並んで立っていたという。その上手の街道より一段高い所に屋敷跡と称するところがあり、かつて石垣が12〜13mほど残っていた。
『飛州志』によれば、この城は広瀬左近将監利治によって築城されたという。
天正年中(1573〜1592)に三木自綱が本城を攻め落として以後、三木氏の居城となったが、その後、天正13年(1585)、金森長近軍の攻撃を受け、落城の憂き目を見るにいたった。

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