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宝暦治水工事義歿者墓[ほうれきちすいこうじぎぼつしゃのはか]

種別 史跡
指定別
所在地 岐阜市岩崎
所有者 霊松院
指定年月日 昭和41年2月8日

宝暦治水工事義歿者墓

 宝暦治水工事の監督にあたったのは、高木家と笠松郡代青木次郎九郎であった。
内藤十左衛門は、多良陣屋高木新兵衛の家臣で、尾張梶原村から伊勢田代輪中にいたる二之手工区の桑名郡の五明村詰所に派遣されていた。その際、堤防の築造に不備を発見し、郡代青木次郎九郎にこの旨を報告しようと思っている間に工事が終了してしまった。最後の検査の時に、自分は勿論のこと、主人高木新兵衛にまで咎めが及ぶと考えて、その責任を一身に負って、宝暦4年(1754)4月22日に切腹した。
墓石は高さ65cm、幅23cm、厚さ16cmの花崗岩に「本性義空居士」、側面に「宝暦四甲戌年四月廿二日」と刻まれている。

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