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手力雄神社火祭り[てぢからおじんじゃひまつり]

分類 重要無形民俗文化財
指定別
所在地 岐阜市蔵前
技芸団体 手力雄神社火祭り奉賛会
指定年月日 昭和52年3月11日

手力雄神社火祭り

 手力雄神社の火祭りは、現在、毎年4月の第2土曜日に岐阜市蔵前の手力雄神社境内で行われる特色ある神事芸能である。火祭りの起源は明らかではないが、江戸時代になって盛んになり、明和年間(1764〜1772)に紛争があって中絶した。しかし、文化2年(1805)になって復興し、現在に及んでいる。『新撰美濃誌』(岡田文園)には、「例祭九月十四日花火を興行す。遠近の諸人見物に来る。比類なき壮観なり」と記述されているが、この記載のように、明治44年(1911)までは陰暦9月14日に執行され、大正元年(1912)から陽暦に改めて、10月22日を例祭に決めた。そして、昭和37年(1962)から、秋祭りを春祭りに変更して4月5日に行われるようになった。
この火祭りは、氏子の旧13か村が一本ずつ建てて、その竿の長さを競う御幣行燈、長い木製の竿上の筒束から落下する火瀑を浴びる禊、仕掛け御輿、舞火、立火等によって構成されている。その内容は、時代の変化にともなって変遷がみえ、明治年間に盛んであった打ち上げ花火は、住宅地域での火災予防という問題から、三寸玉以下による号砲を除いては、現在は行われていない。また、行事の最後にダシ山を花火で一瞬のうちに爆破する山焼けも、現在は行われていない。
歌舞伎の外題によって人形を飾りつけて場面を構成したダシ山も、昭和41年(1966)を最後に姿を消した。一方、これに代わる形で、昭和40年代初めごろから、落下する火瀑の下に、花火を仕掛けた御輿をつり込み、火瀑の火によって点火させる仕掛け御輿が行われるようになり、現在に及んでいる。

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