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谷汲踊[たにぐみおどり]

分類 重要無形民俗文化財
指定別
所在地 揖斐郡揖斐川町
技芸団体 谷汲踊保存会
指定年月日 昭和30年8月30日
昭和33年4月23日
昭和51年6月4日

谷汲踊

 伝説によれば、約800年位前に伝わる武者踊で、源氏が平家を滅ぼした戦勝を祝して踊った踊であると伝える。その当時は「鎌倉踊」といって武士どもが神社仏閣の祝事や祭礼に踊ったともいう。幕末の文久年間(1961〜1864)の大早魃に森の山上に千束薪木を積み重ねて焼き、氏神に祈願してこの踊を踊ったところ、たちまち大慈雨が降ったので、この踊を「雨乞踊」または「豊年踊」といった。明治初年より大正の初めまでは、年々氏神の例祭、盆、社寺の御祝儀には必ず盛大に踊ったが、大正中期以降長く中断し、昭和27年(1952)1月に保存会を起こし、昭和28年(1953)氏神天神神社の社頭で再興、以後、保存会長らの尽力によって各地に出演して現在に及んでいる。
鎌倉時代の源氏戦勝の武者踊に創るという創始伝説は史実とは考えられないが、各地にも多く行われる太鼓踊の一種に相違ない。ただ、ホラ貝を吹き、拍子木をたたき、巨大なシナイを背負いながら直径2尺2寸の大きな太鼓を打って踊り、鉦鼓をもたたくという様式には、竹中一族のような武士団が兵農分離後、農村に落ち着いて郷土舞踊として武技に類する技法を伝えたという要素は認められないこともない。
この踊りは、長さ4mの竹製で鳳凰の羽根を形取ったシナイを背負い、胸には直径70cmの大太鼓を抱えた12人1組に組んで踊る。踊り手が太鼓をたたき、シナイを揺らして踊る様は勇壮華麗といえる。ほかに、鉦鼓、ホラ貝、横笛、拍子木、そして唄・お囃子が加わっておどりを盛り立てる。踊りは、毎年2月18日、豊年祈願のため谷汲村内3か所で上演される。

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