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美濃流しにわか[みのながしにわか]

分類 重要無形民俗文化財
指定別
所在地 美濃市
技芸団体 美濃市仁輪加連盟
指定年月日 平成8年7月9日
選択平成8年11月28日

美濃流しにわか

 美濃のにわかは、文政(1818〜1830)年間に港町若衆連の帳面にその記録がみられることから、江戸時代後期にはこの地に伝わったものと考えられる。
にわかは旧暦8月1日から八幡神社祭礼の一環として、囃子と共に練習し、14・15日の例祭日に披露されたと伝えられる。囃子には春道・音羽屋・十日恵比寿・数え唄などの曲目がある。囃子の主体は明治・大正時代には大太鼓・小太鼓・笛であったものが、その後三味線の比重が大きくなった。現在の囃子の音程は昭和30年(1955)を境に一段低いものに変わったとされる。
現在の例祭は4月第2土・日曜日に変更されている。にわか車に松を立て、笛・太鼓・鼓・三味線の囃子と共に町内を練り歩き、定められた場所で、見物人が丸く囲むなかでにわかは演じられる。まず、拍子木を打ち「東西、トーザイ、この場おん目にぶらさげますのは『にわかの標題』(中略)まずは口上、後はなにやらかやらめちゃくちゃのはじかまり、東西、トーザイ」と口上を述べ、次いで演技、落ち、引き上げの掛け声「エッキョウ」と、4つの部門で構成されている。
美濃にわかは、時事風刺のきいた即興であること、その年一度限りで再演を禁止すること、口上から引き上げ掛け声まで演出が定型化していること、落ちによってそのにわかを評価すること、囃子が必ずつくことなど、美濃に伝わった当初の形態を残しつつ今日に至っている。

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