ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 分類でさがす > 教育・文化・スポーツ・青少年 > 文化・芸術 > 文化財 > 笠松の奴行列[かさまつのやっこぎょうれつ]

本文

笠松の奴行列[かさまつのやっこぎょうれつ]

分類 重要無形民俗文化財
指定別
所在地 羽島郡笠松町常盤町
技芸団体 笠松大名行列お奴保存会
指定年月日 平成7年11月21日

笠松の奴行列

 笠松の奴行列は、和宮の降嫁に動員されたことから始まったといわれ、小羽熊・中羽熊・大鳥毛といった長い毛槍を巧みに投げ渡しながら練り歩く行列である。毎年、4月の第2日曜日の例祭に八幡神社と産霊神社に奉芸される。
嘉永4年(1851)岩見銀山代官から美濃郡代として転任した岩田鍬三郎(第24代郡代)は文久元年(1861)、和宮降嫁に際して笠松村の農民を郷足軽として長柄持役、奴として毛槍役、火消組は河渡宿お休み所詰に従わせたという。これが契機となって以来、笠松村の二社の祭礼に奴踊りの行列を奉芸するようになったという。
明治24年(1891)10月濃尾大地震により大名行列の諸道具や衣類及び記録類等ほとんど焼失、破損した。このため、全国から諸大名の諸道具を新たに買い求めた。道具の整備とともに明治30年(1897)旧来の所作に則り、「大名行列」として毎年奉芸するようになった。その後、戦時中の中断や技芸者の高齢化による中断を繰り返しながら、平成3年(1991)3月に「笠松大名行列お奴保存会」を設立し、規約を制定するとともに奴行列を積極的に再復活させ現在に至っている。
全国各地に残された奴行列の多くが青年団や商工会青年部にその運営が任されているため、古くからの技芸(所作)が簡略化されたものがみられる。一方、笠松町では年齢と経験を基にした階梯制があり、これが所作の忠実な伝承を残す機能となった。

<外部リンク>