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伊和神社の田の神祭[いわじんじゃのたのかみまつり]

分類 重要無形民俗文化財
指定別
所在地 加茂郡富加町
技芸団体 田の神祭保存会
指定年月日 昭和51年9月3日

伊和神社の田の神祭

 4月5日、富加町加治田伊和神社の例祭に奉納される芸能である。この祭りは、平安時代の初期の武将坂上田村麿が征夷大将軍として蝦夷征伐に向かったとき、この地に清水観音をまつり、村民に豊年を祈願して田植祭を教えたのが始まりと伝えている。加治田の竜福寺の蘭田宛和尚が、天正4年(1576)に書いた竜福寺十鏡に、この祭事を「村田楽」と記している。また、祭具のササラが新旧13個あるが、それに墨書で延宝2年(1674)、同6年(1678)、元禄5年(1692)、享保8年(1723)、安政6年(1859)などと記されている。江戸時代を通じて行われていたことがある。
明治以後も続けられ、大戦で中断され、ようやく昭和50年(1975)4月の例祭に34年ぶりに復活奉納された。いま、文政2年(1819)正月に記された「伊和神社祭礼記録」が栃洞組に保存されている。今日もほぼこの記録どおりに執行されているようである。
出演者は、祢宜、きき役、太鼓役、太刀役、長刀役、棒役、翁役、獅子役、獅子の取口、鏡餅役、赤飯役の13名である。次に踊り子の順序であるが、はじめに祝詞があって、次の9番に分かれている。一番太刀、二番長刀、三番棒、四番のりと中臣祓[なかとみはらい](祢宜による)、五番さんばそう、六番おきな、七番獅子、八番田の神祭、九番田植うた(花笠おどり)である。
伊和神社の田の神祭の芸能は、翁猿楽と田遊びの面影を残している。

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