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伏屋の獅子芝居[ふせやのしししばい]

分類 重要無形民俗文化財
指定別
所在地 羽島郡岐南町伏屋
技芸団体 岐南町伏屋獅子舞保存会
指定年月日 昭和63年8月23日

伏屋の獅子芝居

 女主人公を獅子が演ずる獅子芝居は、寛政年間(1789〜1801)、三河の岩蔵・岩治・作蔵の三人が獅子芝居の原形を考え出した。天保年間(1830〜1844)には、三河の壽作と尾張の市川竜介が前述の3人から習ったといい、この竜介が今日の嫁獅子の開祖と伝えられ、三河・濃尾の地方に新しい芸風の獅子芝居が生まれた。明治に入り、竜介の芸風をついだ初代三光が尾張で、伏屋の東五郎が美濃で、それぞれ一座を率いて近村を巡業した。外題は「阿波の鳴門」「忠臣蔵」「朝顔日記」などであった。明治37年(1904)頃、沢村大悦や小悦らの名人が出て、今までの歌舞伎の手法に義太夫を取り入れて工夫をこらした。大正中期には全盛期を迎えたが、昭和30年(1955)代廃絶し、また、47年(1972)から復活した。
伏屋獅子舞は嫁獅子系のものである。嫁獅子の頭は耳が立ち、頭に白髪がないのが特徴である。舞手は男で獅子頭をかぶり、赤の長襦袢に黒紋付を着て、白足袋をはき、手に幣や鈴を持って演ずる。始めに白山神社への道行きがあり、笛・大小太鼓・木・鉦・獅子舞・囃子によるリズムは古式を偲ばせる。次に人寄せの太鼓があり、大・小太鼓、笛で行われ、唄もうたわれる。終わって、神楽獅子に移り、悪魔祓いとして、幕の舞、幣の舞、上の舞、下の舞の4つの舞が太鼓・付太鼓・獅子笛で演じられる。最後に、嫁獅子の登場する獅子芝居が演じられる。
伏屋では、獅子が女形になる獅子芝居とそれがない歌舞伎芝居があり外題が異なる。なお、芝居は義太夫に合わせて演技されるものが多く、そりが入らないものを「白立物」といっている。

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