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桜の襖絵[さくらのふすまえ]

分類 重要文化財
指定別
所在地 高山市
所有者 千光寺
指定年月日 昭和47年1月11日

紙本著色桜の襖絵

 思考は初名正親、字介堂、花眞頁と号した。京都鳴滝に居住し、若くして熊斐門の月湖に受けたが、架空の人物、物像を描くことを嫌って、桜は日本の国花であるにも拘わらず、古来傑作が見られないといって、これを描くことは、国民の操であると専ら研修し、遂に精妙の域に至ったという。
千光寺の桜の襖絵は、天明7年(1787)に思考が、千光寺に滞在して描いたもので、襖絵9枚が遺っている。日本画の伝統を守る歿骨法(つけたて)をもって描いた作品で、鮮やかな筆法である。現代日本画は、洋画の影響を受け、こうした描法は余り見られなくなったが、日本画独自の軽妙な筆使いである。
思考の画は、伴蒿蹊著「近世畸人伝」の挿画を描き知られているが、特に千光寺に滞在中、百余年前に、円空が千光寺に遺した多くの仏像彫刻や円空その人について興味を持ち、円空が立木に仁王を彫っている状態を想像して描いた画が近世畸人伝に載ってる。

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