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木造釈迦如来立像[もくぞうしゃかにょらいりゅうぞう](妙見堂)

分類 重要文化財
指定別
所在地 養老郡養老町養老公園
所有者 妙見堂
指定年月日 昭和49年11月13日

木造釈迦如来立像

  • 寄木造玉眼漆箔
  • 像高:355.0cm台座の高さ:133.0cm

 寄木造の玉眼像である。右手は施無畏印[せむいいん]を結び、左手は掌を前に垂下[すいか]し蓮華座に立っている。面貌は温雅、玉眼は大きい。衣文[えもん]は相当深く、古式の翻波線[ほんぱせん]を交え、巧みに処理されている。肉身部は黒漆塗、法衣の部分は漆箔となっている。巨像であるが、全体のバランスのとれた優作である。蓮台は漆箔で、像と同時期の作であるが、この像を迎えて安置した時、建物の高さの関係からその一部を取り去っている。像と蓮台に破損の箇所はないが、像や蓮台の金箔はところどころ剥落している。なお光背はない。
伝えによると、この釈迦像は、江戸時代初期の日蓮宗の高僧中正院日護(1580〜1649)の造顕となっている。仏祖統記巻39によると、日護は紀伊国養珠寺の弟2世、学徳高く、徳川頼宣夫妻の帰依が厚かった。仏像彫刻に秀で、生涯に造顕した仏像は1万余躯に上り、後水尾天皇も、日護に命じて、朝向閣の仏像数躯を刻ませている。
この妙見堂の釈迦如来は、徳川家康の側室養珠院の発願により、日護が一木をもって、同法量の釈迦如来三躯を刻んだという三躯の内の一躯である。大正10年頃縁あって妙見堂に迎えられた。

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