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木造広目天・多聞天立像

木造広目天[もくぞうこうもくてん]・多聞天立像[たもんてんりゅうぞう]

分類 重要文化財
指定別
所在地 安八郡神戸町加納
所有者 香林院
指定年月日 昭和56年9月16日

木造広目天[もくぞうこうもくてん]・多聞天立像

  • 檜材一木割矧造[いちぼくわりはぎづくり]彫眼
  • 左広目天右多聞天共に像高:100.0cm

 本尊薬師如来坐像両側の守護神である。
造像当初は四天王像として造られ四方に安置してあったと思われるが、2躯のみ現存する。本尊薬師如来像と共に保存状態が非常に悪く、損傷が著しいため江戸時代末頃に大修理が行われた。
薬師如来像は躰部の大方を補作し、当初分は少ない。2天像は両肩から手足が補作されているが、わりと当初分を残しており本尊よりは状態がよい。
多聞天像は右手に宝塔、広目天は筆と巻子を執るが、これらの像は異なる。修理後、像名をいれかえた可能性も考えられる。二天像は檜の一材から彫り出し、両像共肩と手足は別に矧ぎ付けている。また、背面は両耳後の線で頭部から裳[も]裾に至る間を竪に割離して、像内を内刳[うちぐり]したのち矧ぎ付けている。彫刻面の仕上げは、漆錆下地を行い、黒漆を塗って、その上に彩色を施す通常の手法がとられていたと思われるが、像全体に後補の古色が黒く塗り付けられている。
広目天は瞋目[しんもく]で口を開き左手を上げて鉾を執り右手は開いて腰にあてている。多聞天像は口を閉じ、左手は拳を作って腰辺にかまえ、右手は屈臂[くっぴ]して上げ剣を執る。両像とも両腕部を補作しているが、全体的には当初の彫刻面をよく残していることは幸いである。衣文[えもん]は刻みも薄く流動的に表現している。眼は彫眼で構造技法は一木割矧造である。
制作年代は平安時代後期(11世紀)であると思われる。

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