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災害体験談9

56豪雪(1981年/昭和56年)

本巣市在住男性(当時根尾村建設課職員)

55年12月27日から本格的に降り出した。

役場で1m70、能郷2m30、越波4m50積雪があった。また連絡があったのは食料が不足している、電線が切れているというものであり、奥地3地区で22人が孤立した。倉庫、車庫など非住家が6棟全壊、1棟半壊、庇が壊れたもの3棟であった。1月7日災害対策本部を設置した。

雪の量は多かったが、長い期間で降ったので割と被害は少なかった。ただし雪は深かったので村の商店街でも庇の高さの所を歩いていた状況である。村役場付近も積雪が多く、徒歩で通っていた。

道路の除雪基準については、今は除雪が10cm、昔は20cm位であり、毎日除雪をしていた。ただし、雪が多すぎたので、一日かかっても大須までは行けなかった。

当時の村役場の対応としては、業者委託と直営でも職員が除雪していた。役場の職員は公共施設の屋根の雪下ろし、現場への状況確認で全員が外へ出ている状況であった。奥地(越波、能郷)へは行ける状況ではなかった。大須までも行けなかった。

雪を捨てる場所が無かった。人命に被害はなかった。越波は現在はいないが、当時はいた。住人はある程度蓄えもあったので家の中にずっといた。2月の後半にはほぼ復旧状態。孤立した地区は4月にならないと行けない。それまで冬眠状態。

食料については野菜が不足。孤立地域では薪で暖をとっていた。

18豪雪(2006年/平成18年)

本巣市在住男性(当時本巣市根尾支所職員)

17年12月13日から降り始め、14、15、18〜24日に降り、役場で1m70位になった。12月24日豪雪対策本部設置。死亡1名(高齢者独居世帯でヘルパーさんが発見)、けが2名。56豪雪に比べ高齢者が多くなったため、確認(安否)に時間がかかった。

樽見鉄道が18日間動かなかった。ロータリ車では除雪も追いつかず、ユンボ型の車両で除雪を行った。子どもたちを学校へ送るために途中まで家の人が送り、途中から行政バスを利用した。1月9日まで157号は通行止め。

民家の雪下ろしが課題であり、市役所が窓口になって、業者に依頼した。個人的に頼む住人もいた。公共施設については、市長を先頭にほぼ全員の職員が屋根の雪下ろしにかかった。2月になって生活は元に戻った。対策本部は、本庁で対策本部、各分庁舎で現地本部を立ち上げる。除雪は昼間しかできない。

今後も豪雪の課題としては、高齢化が進んでいること、除雪優先のため、庇が壊れること。高齢者世帯の屋根の雪下ろしのため、毎年12月自治会が開催されるとき、自治会に対し協力を依頼している。(比較的雪崩は少ないのでまだ良い。)また、時期になれば市でパトロールを実施し、状況把握に努めている。

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