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災害体験談10

恵南豪雨災害(2000年/平成12年)

恵那市上矢作町在住男性

Q:体験された災害はなんですか。

平成12年9月11〜12日の台風14号と秋雨前線による豪雨により起こった恵南豪雨災害です。

Q:恵南豪雨災害時にはどこにみえましたか。

大雨であった11日の22時00分頃は上矢作中学校での会議に出ていました。その後、「よく雨が降るなぁ」と思いながら、自宅(上村川新澄ヶ瀬橋下流右岸)へ帰りました。その時はまだ「これぐらいの雨なら大丈夫」、「伊勢湾台風の時でも堤防道路までしか水はこなかった」と油断していました。

Q:当時の職業はなんですか。

当時は退職していました。以前は中学校の教師をしていました。

Q:災害が起きた直後のことを覚えていますか。その時に何をされていたか、その後、何をしたのか教えてください。

会議を終え自宅(2階が生活の拠点)にいました。家から見える川の水位をやなのトイレ(河川内に設置)を基準にして見ていました。トイレがかなり見えなくなった、トイレの屋根しか見えない・・・。3時30分頃に停電となりました。ブレーカーを見るため1階へ降りていくと階段の下から5段目まで水がついていました。これは家が流されると思い、家内と2人で貴重品等を持ち、別棟に避難しました。道路も30cmほど冠水しておりとても歩いて避難できないので、不安に耐えながら2人とでじっとしていると、隣家の方が車で通りかかったので、同乗し保育所へ避難しました。保育所までの道も20〜50cm冠水しており、車ごと流されかねない状態だったと思います。避難してから親類と携帯電話で連絡を取り合い無事を確認しました。しかし、5時00分頃には携帯電話も不通となりました。

Q:災害が発生した時の周りの様子はどうでしたか。避難所の様子はどうでしたか。避難所からはいつ戻られましたか。

周りの様子はわかりません。命からがら避難所へ着いたというのが実感です。保育所には6人おり、ほっとしました。保育所も停電しており、早く夜が明けないかなぁと思いながら過ごしました。保育所では広報、無線等も入らず、情報がない状態でした。

翌日には避難所から戻りました。1階が土に埋もれた家を見て愕然としました。教員時代の思い出の写真や文集、貴重な本などたくさんのものを失いました。

Q:その他、災害に関して記憶に残っていることはありますか

私の家の下流に橋脚のある橋があり、そこに流木がどんどん溜まっていったのを覚えています。それがダムのように水をせき止め、橋の上流側の私たちの地区は被災しました。橋の下流側の地区は被害がありませんでした。

災害復旧で橋を架け替えるという話しもありましたが、不便にはなりますが、被災し、現場を見ていた私たちの意見が採用され、橋脚のある橋だったので「架けない」という結論に至りました。

Q:元の生活にもどるまでにどれくらい時間がかかりましたか。その間苦労されたことはありますか。

電気はわりと早く復旧し、水道は復旧に時間がかかった気がします。復旧するまでの間、水はたまたま山からわき出た水を利用しました。トイレ(くみ取り)も2階にあり使用できたのですが、近所の方やボランティアの方の利用もあり処理(くみ取り)に困りました。私の家の土砂除去等の災害復旧が始まったのは被災後2日ほど経ってからでした。生活が元にもどり、本当に気持ちが落ち着いたのは3年後くらいです。

Q:災害で最も記憶に残っていること、災害を体験されて教訓として残っていることはなんですか

ひとつは、命の大切さです。過去の思い出などたくさんのものを川の水に流され失いましたが、私と家内の命が残ったこと、これが最高です。今、孫と楽しく暮らせるのも命あってのことです。命があれば何でもできるということを学びました。もうひとつは、人の心、人情のありがたさです。人は助け合いがないと生きていけないということを学びました。土に埋もれた家を前にし愕然としている中、私の家と隣家だけで延べ350人の方がボランティアで、土を出したり、片づけをしたり、炊き出しをしたりしてくれました。ボランティアの方には本当に感謝しています。また、かつての教え子からの応援も励みになりました。この人の温かさから「よしがんばるぞ」という力が涌いてきました。

被災した直後は、ここに住むか移転するか迷いましたが、子供たちの生まれ育った家を残して欲しいという言葉とボランティアの方の献身的な姿を見て、ここでもう一度暮らそうと決意しました。

Q:災害を体験された以降あるいは以前から、実践されていること(防災対策でも生き方とかでも可)はありますか

恵南豪雨災害後に旧上矢作町から全戸配布された避難時携行品は、常に持ち出せるようにしています(玄関の下駄箱の中)。また、災害予防が大切です。川の中に昔の橋梁の橋脚が残っていたのですが災害がないと撤去されませんでした。災害が起こる前に予防しなければいけません。今は「やな」の経営に関わっていますが、災害で人情のありがたさを痛感したので、もうけよりも人情に厚い経営をするよう心がけています。

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